訪問着(成立:明治〜大正)

歴史:洋装のヴィジティングドレスを訳した 言葉で当初は「訪問服」と呼ばれました。 明治には小紋に一つ紋を入れて、現在の 訪問着のような目的で着用されていまし たが、明治〜大正にかけて洋装のドレス に対する女性の社交外出着が必要だとい うことで訪問着が成立していきました。 当初は三つ紋を付けていたようです。

柄付け:裾、袖、肩、衿に模様があります。基本的に裾全体や袖〜肩〜衿にかけて絵のように柄がつながっている絵羽模様になっています。

TPO:お茶会、結婚披露宴、祝賀会、お宮参り などフォーマルの装い。紋を入れると格が上がります。主に袋帯を合わせます(丸帯でも可)。


付下(成立:戦時中)

歴史:縫い目で模様を繋げないで胸、肩、袖、裾に柄を付け、柄が前と後で逆さにならないように付け下げた ので、付下げと呼ばれます。

TPO: お茶会、結婚披露宴、祝賀会、お宮参り などフォーマルの装い。紋を入れると格が上がります。主に袋帯を合わせます。基本的に訪問着に比べて控えめですっきりした柄付けです。
製品の段階では反物で販売されており、八掛(はっかけ・裾や袖口からのぞく裏地)は好みの色を合わせることができます。


振袖(成立:室町〜江戸)

歴史:振りのある小袖。元々若い人の体温を発散させるために脇を開けて振りが生まれました。袖は短くても振りがあれば振袖と言われ、少年にも着られた様子 が室町時代の絵に残っています。 江戸時代、袖は次第に長くなり未婚女性の盛装として元禄以降に流行しました。江戸後期に武家や裕福な女性が好んだ 豪華なものが今の振袖の原型です。かつては振袖にも五つ紋を入れていました。

柄付け:基本的に全体を使って絵のように柄がつながっている絵羽模様。上前身頃や左の衿〜肩〜袖にかけて最もボリュームがあります。

TPO:未婚女性の第一礼装として、成人式、結婚披露宴、祝賀会など晴れの日の装いとなります。華やかな模様の袋帯を変り結びします。元々は丸帯を結んでいました。


黒留袖(成立:明治〜大正)

歴史:江戸後期、中流町人女性の間では腰から下にのみ模様がある小袖が好まれました。 江戸褄もその一つで明治には黒っぽい地味な地色が好まれました。黒留袖はその名残りで後に西洋のブラックフォーマルと組み合わされて、第一礼装となったのです。
「留袖」の元々の意味は若い女性が18〜19歳になるか、結婚をきっかけに振袖の脇をふさぎ、袖を短く切り詰めることや、その着物のことを言いました。今の裾模様の留袖の意味とは異なっています。

柄付け:裾だけに模様があるので「裾模様」とも言われます。基本的に裾全体に絵のように柄がつながっている絵羽模様になっています。地色は黒。必ず五つ紋を付けます(抜き紋)。

TPO:
既婚女性の第一礼装。主に結婚式で親族や仲人が着用します。袋帯(または丸帯)をお太鼓結びします。帯締め、帯揚げ、長襦袢は白地を合わせます。 


小紋(成立:江戸〜明治)

歴史:武家の裃の染め技法に用いられた 江戸小紋が原型。略式とされた小紋柄は 町人にも受け入れられ広く浸透しました。 明治以降、型友禅も加わり 華やかな小紋が生み出されていきました。 

柄付け:全体に模様があります(同じ模様の繰り返し)。反物の状態では柄が一方向を向いているので、上下のある模様の場合、着物になると柄が上を向いたり、下を向いたりします。

TPO:カジュアルな着物ですが、紬よりはドレスアップした印象になります。飛び柄で無地場の多い小紋なら少し格の高い帯を結んでちょっとした晴れの席でも着ることができます。帯合わせは袋帯、名古屋帯、細帯など自由度が高く、デザインによって幅広いコーディネイトを楽しめます。


紬(成立:江戸)

歴史:紬は元々養蚕の過程で出てくる屑繭(くずまゆ:蚕蛾が繭を破って出たものや双子の繭など、生糸にならないため捨てられていた絹)を紡いで糸にし、綿のような風合いの織物(綿と混ぜるなど)にしてを着用していました。元々は庶民の着物だったわけです。日本では全国各地で養蚕が行われたため、各地で風土に根付いた紬が生まれました。
日本最古の紬は久米島紬だと言われます。久米島では15世紀に大陸から養蚕を学んで絹織物を始めたとされるので紬の歴史はそれ以降と言うことになります。 

紬の着物:繭を湯でほぐし、手で綿状に伸ばしたも のを手で紡いで紬糸にします。これを機織りしたのが紬。主に絣や縞、格子など先染め技法が用いられます。また、牛首紬に代表される様に白生地に織って後染め加工する紬もあります。 

TPO:カジュアルな着物として、ご自宅や気軽なお出かけに向きます。ただし、紬の色無地なら帯合わせ次第でカジュアルからフォーマルまで。紬の訪問着、附下はフォーマルで着用できます(各コミュニティーによって見解が違います)。


御召し(成立:江戸)

歴史:徳川幕府十一代将軍家斉公が好んだ西陣の先染め縮緬(ちりめん)を「将軍様のお召しもの」と言ったのが「御召」の由来と言われています。
御召し着物:正式には「お召縮緬」と言い、縮緬(ちりめん)と共通した織物。緯糸(よこいと)に強い右撚りと左撚りの糸を交互に織り込むことで独特のシボ(凹凸)が生まれます。
御召と縮緬(ちりめん)の違いは先練りと後練り。お召しはあらかじめ精練(せいれん)、染色した糸を用いて織られる先練りで、絹のもつセリシンという膠質(にかわしつ)がなくなり、密に織り上がるので地風は縮緬よりやや硬くなるのです。塩沢御召、白鷹御召などはシボのある御召本来の織物が中心。西陣御召、十日町御召しなどの各産地では御召縮緬の枠にはまらない様々な風合いの御召が織られています。

<参考>精練(せいれん):水や薬剤を使って、糸又は織り上がった生地に含まれた不純物を取り除く作業。絹糸はフィブロインとセリシンからなるが、不純物であるセリシンを取り除く。染めやすくしたり、柔らかくする効果がある。 

木綿(成立:江戸)

歴史:日本で木綿の栽培が本格的にはじまるのは江戸時代。それまではインドや東南アジアの更紗や間道(縞、格子)の染織品が高価な輸入品として入っていました。17世紀後半頃には木綿が国内で大量に生産されるようになり、庶民の生活に欠かせない素材として広まりました。木綿は藍染めとの愛称が良く、長板中形染め、有松絞り、木綿絣など様々な染織技法が生まれます。
 
木綿の着物:木綿の着物は太い糸から織るもの、細い糸から織るもの、その組み合わせなど産地によって風合いは様々。絹との違いは水で手洗いできること。手入れにコストがかからず、価格も手頃なので気軽に着ることができます。風合いはしなやかで、シワになりやすいのも特徴。
 久留米絣、備後絣、弓浜絣、唐桟(とうざん)、片貝木綿(かたがいもめん)、伊勢木綿、 会津木綿 阿波しじら織りなど各地で様々な木綿の着物が生産されています。

TPO:最もカジュアルな着物として、ご自宅や気軽なお出かけに向きます。