呉服の由来 日本書紀に見る呉機(くれはとり)・漢機(あやはとり)姉妹の機織り伝承

 着物を「呉服」と言う場合、呉から伝わった高級織物という意味があります。『日本書紀』によれば第十五代・応神天皇37年に、呉王(中国・呉の国)が縫工女・兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、漢織(あやはとり)の4人を(日本へ)送ったとあるそうです。 その内、大阪・池田の地には呉織・漢織の2人の姉妹が送られ、機織り、染色、裁縫の技術を伝え、蜀錦、綾錦などの高度な織物が織られるようになったと伝わっています。

 また、古事記には「百済国は手人韓鍛冶・卓素と、呉服の西素の二人を派遣した」(手人韓鍛は鍛冶職人、呉服は中国・呉国の機織り女性 )とあります。この頃、大陸より秦氏が渡来して機織り、養蚕、酒造り、土木などの最新技術をもたらしたともあり、応神天皇の御代は絹織物を中心とした呉服の原点で、日本を象徴する伝統文化の源になった時期とも言えそうです。◎参考図書:現代語古事記(武田恒泰著)ほか

●大阪池田市にある「呉服神社」(くれはじんじゃ)
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